永遠の課題、国語力。
どうしたら国語の点数が上がるのか。
一般的によく言われてるのは「本を読め」
もちろんこれも一つの方法だと思う。
だけど俺の実感としてはあまり意味がない気がする。
いや、正しくは本による。
好きな小説家の本を呼んでもあまり意味がないか。
いやそもそも小説があまり意味がない。
と俺は思う。
もし読むなら純文学がいい。
純文学っていうのは、
いわゆる歴史の教科書に出てくるような作家の文章。
あとは今でも芥川賞とか直木賞とかに選ばれるような本。
ピース又吉の「火花」なんかもそうだ。
こういうのを読むと国語力に直接的につながる気がする。
ただこれには大きな欠点がある。
純文学はつまらない。
そもそも純文学って何?
例えば東野圭吾や湊かなえ、道尾秀介など、
コーチャンフォーでベスト10とかに入ってくるような作家は、
読者がハラハラ、ワクワク、ドキドキするような、
読者を楽しませるための小説を書いている。
これは純文学ではない。
それに対して純文学は、
芸術なのだ。
ピカソの絵みたいなものだ。
天才的な感性を持った人が、
天才的な言葉や表現を使って、
他愛もない出来事を事細かく自分の心情も交えて書いていく。
それが純文学。
天才的な言葉や表現を使われても、
凡人の俺たちには分からない。
よく高校の教科書に載っている、
梶井基次郎の「檸檬」
世の中に不安や不満を持っている主人公が、
あるデパートの売り場に、
檸檬を置いていくのだ。
でもこの主人公の中では、
檸檬は爆弾。
そんな妄想している。
実際に爆破する勇気なんてないから、
檸檬を爆弾に見立てて、
デパートに置いてきて、
デパートが爆破されるのを想像する。
そう完全に中二病。
それが超有名な純文学作品なのだ。
でもそういう一見よくわからない登場人物の心情
などを考えることが、国語力のアップにつながる気がする。
俺はそう思っている。
中学生のとき。
つまり高校入試に関しては、
国語力なんていらない。
問題の傾向、
解き方のコツ。
これらをつかめばある程度点数は取れる。
よく言っているが、
文章の意味が全くわからなくても、
問題は解けるのだ。
(いつも言ってるが、国語力があれば更に解きやすいけどね)
それを道コン対策、
つまり夏カリや冬カリで教えていく。
でも高校生になるとこの技は使えなくなる。
本当の国語力が必要になる。
自分が高校生の時、
国語は全くできなかった。
センター試験(今の共通テスト)の勉強では、
国語は全部選択問題なのだが、
間違うと、
「これだって正解だろ!こんな問題インチキだ!」
とイライラしていた。
最もダメな受験生の姿勢だ。
でも今は当時よりもずっと解けるのだ。
当時は、これでもいいだろう!
と思っていた選択肢が自然と明らかに
間違いの選択肢に見える。
200点満点のセンター試験。
自分が高校生の頃は
100点ぐらいが平均だった。
でも今では多分150から160点ぐらいは常に取れる。
こんなことを言うと、
「塾の先生なんだから当たり前だろ」
って思うかもしれないけど、
それは違う。
俺はもともと中学生対象の塾講師だ。
高校の内容はこの塾を始めて、
しかももともと高校生は自習形式のつもりが、
要望により授業をやることになって、
その後勉強した。
現役の時のことなんて忘れてるし、
しかもそれは数学、英語中心で、
国語なんてハッキリ言って勉強してない。
言ったら高校生の時も不真面目過ぎて勉強してない。
更に勉強しても他の教科に比べてあまり
効果が感じられないのが国語。
じゃあなんで俺は伸びたのか。
しかもオッサンになってから…。
伸びた要因は多分、このブログだと思う。
ブログを本格的に始めたのは2020年の1月。
そこから夏カリ、冬カリ、春カリ以外の平日
は更新。
まあサボることもあるけど、
サボる率が15%として(結構妥当だと思う。)
365日のうち平日は261日
そこから祝日や夏冬春カリキュラムや俺のGWなどを
ざっくりと引いて180日くらいかな。
俺がブログを書かなきゃいけなかった日は。
そこにサボり率15%を考えて180×0.85=153
年間153個のブログを書いてる。
それを約4年半やってるから、
153×4.5=689
約700回のブログを書いてる。
しかも一回分の分量がご存じの通りウザいくらい多い。
(ちなみにランニングのお知らせなどの小さなものも含まれるが、
このブログは1311回目の投稿だ。)
この経験の積み重ねで、
色々な表現を覚えたり、考え方を学んだりしたんだと思う。
実感はないけど。
更に、この仕事をやって、
常に人の考えてること、欲してるもの、
不安に思ってるであろうことなどを考える。
そして、なんと通りもの「人の思考」を知った。
それが大学入試の□2(小説)を読み取る力に繋がっている
と思う。
結局何が言いたいか。
俺みたいな国語の才能がない人が
入試に役立つ国語力をつけるためにはどうしたらいいか。
多分だけど、俺の例を考えると、
小さなことを継続していくことが唯一のコツだと思う。
ごめん、月並みで。
でもそれしかなくない?
今ここまでちゃんと読んでる?今日は長いけど。
それが出来ない人には国語は無理じゃない?
長いって言っても10分もかからないよ。読むのに。
24時間のうち10分頑張って文章に向き合えない人は、
もう国語は諦めた方がいい。
でも勇気出るでしょ?
俺が勉強もしてないのにオッサンになって
大幅に伸びたんだから。
先生は頭いいから!!って聞こえてきそうだけど、
頭良かったら高校生の時もできてるから。
継続。
それしかない。
ということは、
今からまだ間に合うのは…
中学生たちだよ。
なんか大学受験のことだからって適当に読んでない?
実はこれは中学生に向けた励ましの文章なんだよ。
高校生のオジサン・オバサンはもう手遅れ…(笑)
とまでは言わないけど、
一日10分の文章読むくらいでは
国語力はつかないよね。
ただ、俺のように国語の才能がないグループの
人は、単に問題集や模試の過去問を解いても
それは無駄だと俺は思う。
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